無花果 - Feigenbaum
無辜の一市民であるイチジク氏はいつもどおりの朝を迎えた。
基地から毎朝律儀に飛び立つ軍用機の飛行音は、イチジク氏を鋭く目覚めさせずにいられない。今日は三機も飛び立ったようだ。やれやれ、朝寝が楽しめるようになりたいなぁ、とぼやきながら、イチジク氏は身支度を整えて朝食を作る。イチジク氏が暮らしている国の軍は、ああやって毎朝、他の国に小粋なプレゼントをばら撒きにいくとされているが、イチジク氏に詳しいことは分からない。そもそも詳しいことが、国から明かされたためしがない。彼らが熱心にやさしく説明してくれるのは、イチジク氏が支払うべき税金のことだけである。
たっぷりと時間をかけて朝食を取ったあと、お皿を洗い終えたイチジク氏は窓から入って来た春の光に手をかざし、ひだまりに指を踊らせ、まな板の上にうつった影で遊ぶ。兎が狐になり、狐が蟹になる。開いた窓から若草のかおりが漂ってくる。うっとりとしたイチジク氏は楽しげな気分と光のぬくもりをこころにしっかり留める。何か辛いことが起きた時、このぬくもりの思い出はイチジク氏を慰めてくれるはずである。 こうやってイチジク氏は世間の現実と向き合おうとしない。その分の時間を子供の頃からの遊びに費やしている。この出来事の二時間後、イチジク氏の家は他の国の小粋なプレゼントの下敷きになり、「この攻撃により、市民一名が死亡」と、どこかの国のアナウンサーがイチジク氏のことを伝える。ジャーナリズムの真実は彼の身からはるかに遠い。聖書も神話もイチジク氏の耳をとらえることはなかったのに、いつのまにか、イチジク氏は敬虔な○○教徒だとみなされている。イチジク氏はとても古い祈りの言葉から作られた合成語を喋ってはいたが、その由来や民族の歴史といったものに、生涯、心惹かれたことはなかった。イチジク氏は今、イチジク氏がなった覚えもない同胞の犠牲者として、あるいは戦績として、電波のゆらぎの中でただ数えられている。瞬く間にジャーナリストの関心は、イチジク氏の国がこの出来事で、さらに小粋なプレゼントを他の国にばら撒く可能性が増えるかどうかに移った。
イチジク氏は初秋に庭のイチジクが熟するのを心待ちにしていた。 だが、そのようなことも語られない。だれもイチジク氏の感じていたひだまりの楽しさを口にしようとはしない。そんなものは伝える価値がないからだ。
秋にイチジク氏のイチジクの木はたくさんの実をつけた。
それは近所の子供のお腹を満たした。彼らはひだまりの楽しさを知っている。笑い声をあげながら、影を相手に遊んでいた小さな女の子が、最後の実をぱくりと食べてしまうと、それで今年のイチジク氏のイチジクの木の実はおしまいになった。
03_06_2006
Feigenbaum:ファイゲンバウム。ドイツ語の姓でイチジクの木のこと。イチジクはアラビア南部原産の植物。
back