花束 - flower_for_you

殺し屋はやわらかな色相を保護色として使う。
目を射る原色、軍隊調の色彩、そして白と黒の組み合わせは、もっとも慎重に避けるべき色として挙げられている。それを仕方なく着用する際にはやわらかな色を添え、印象を抑えるのがルールだ。
だから、今、白い綿のシャツに黒いスーツの老ルーファスは花屋に足を踏み入れ、新婚の若い夫婦に渡すようなものを、という注文で花束を仕立ててもらっている。
殺し屋に独創性は要らない。
淡いピンクのチューリップの花束の出来にふわっと柔らかく微笑み、個性を沈めおえた彼は悠然と歩み去る。花束を渡した店員の記憶からは、驚くべき速さで彼の印象が消えていく。かろうじて頭に残るのは微笑みだけ。
殺し屋の盾は威嚇ではない。その逆の穏健さ、善良さ、真面目さを纏い、善を軽蔑しながらも、善行に頼らざるを得ない、といった奇妙な二律背反から出来た常人の日常こそ、臨機応変の盾となりうる。
畢竟、殺し屋の迷彩は最上級まで高められた品のいい平凡さなのだ。
真に善を纏い切った者が人の記憶に残らないことは、歴史がすでに証明してくれている。義務を胸に腺ペストに立ち向かい、死んでいった幾多の医者や修道士たちの名前を言える人間が、この地上にどれだけいるというのか。善いものは忘れ去られ、悪いものはいつまでもわだかまって胸に残る。いや、悪によって、善がかろうじて歴史に引っかかっている。
逆説的だが、多くの殺し屋は、善良で社会法規をよく守る良き市民であり、事が滞りなく進行するよう、注意深く手配する。それ以外の突発的行動をとった人間は遅かれ早かれ、生き残っていない。生き残ったものは、仕事を黙ってやり、誰にもさほど覚えられず、陽炎のようにゆらめき流れ消えていく。個を忘却に沈めるのに、特別な手立ては必要ではない。機密は永遠に機密たりえず、隠し立てすると逆にボロが出る。
やっていることはピザ屋の配達とまるきり同じだ。出来合いの死を依頼人に配達する。意外かもしれないが、報酬は記録に残る銀行振込で支払われる。そのかわり、銀行のシステムは定期的にトラブルやメンテナンスでダウンし、何故かバックアップまでもが壊れ、平凡さによって、すべてが処理可能だということがまたもや証明される。証拠を不自然に綺麗に消してしまうよりは、看過させる方が容易いのだ。ゆえに、誰の目にも触れているにもかかわらず、誰にも記憶されないがために、生き残ってきた殺し屋の胸には、ある思いが到来するのが避けられない。
それを老ルーファスはこれまで退けてきた。それはかつて彼の身を襲った死病にも似て、制限を殺しの目標に告げる手を鈍らせ、彼の全てを崩壊させる。だが、彼にはわかっている。わかりすぎている。すでに全てが遅い。彼は殺し屋であって、殺し屋ではなくなりかけている。スーツの右脇に下げたナイフの刃の厚みを、こんなにわずわらしく感じたのは初めてだった。だから、これから彼は遠い場所にいるソラに会いに行くのだ。
殺し屋を崩壊させる思いは、ふたつのどうということもない問いかけで出来ている。
いわく――いつまでこのようなことを続ければいいのか?
「わからない」
ルーファスは路面電車に乗り込み、座席に身を預ける。運転手が出発のベルをちん、と鳴らす――そのときだ。周りの音が一斉に遠ざかった。老眼鏡ごしに見えていた世界の虹色の繻子が溶け始め、ルーファスは花の香りのする常闇に独りで取り残される。耳を聾するような沈黙から霧が晴れるように速やかに、もうひとつの問いが立ち上がってくる。その問いの恐ろしさにルーファスは震える。
――わたしは誰がために、この残された時を生きればいいのか?
「誰も」
ルーファスは小さく呟く。
「誰もいない」
この花束を渡す相手などいない。
新婚の夫婦に渡すようなものを。
この花束はわたしのわがままだ。
ソラは去った。何年も前に――
なのに、どうして、わたしだけがここにいる? 何故、ここにいなくちゃならないんだ?





03_21_2006
文のきっかけ _ ロッキングオン2005年5月号のManic Street Preachersのインタビュー記事から。1995年に自殺の名所に車だけを残して行方不明になったバンドのギタリスト、リッチー・エドワーズについて。ライブ時にいつもステージの左側が大きく空いている事を質問されて「あいつ(リッチ―)の場所を占めたくないんだ」という答えに泣いた。
書くときに聴いていた曲 _ Nine Inch Nails _ "things failing apart" - The Frail(Versions)


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