狢 - a badger
――お嬢ちゃん。
昔、俺が若かった頃に大好きだった本が映画になったことがある。
その映画をつくった会社の社長は、その映画を捨て作にしたのさ。
――捨て作?
――最初から、まともに作る気なんかなかったってことさ。
そいつはまず、そいつの会社が昔つくった名作映画のあちこちから、使えそうな場面を拾ってきた。そして、映画にする本から使えそうな言葉を考えなく引っ張りだし、場面の
間に順繰りに貼り付けて、どうにか格好をつけて映画を撮った。
それには、筋らしい筋もなければ、終わりらしい終わりもなかったが、音声と
映像でありさえあれば、映画にはなるわけだ。やっつけ仕事を終えたそいつは、
これがあの素敵な本の映画だと言って、世の中に堂々と出した。
それが楽しかったというやつもいれば、楽しくなかったという奴もいた。しかし、
一般には非難轟々の代物だ。お客のことを考えて作った代物じゃなかったからな。
当然、そいつの会社の株価は少しずつ、下がっていった。
だが、そいつは何を言われようが、痛くも痒くもなんともない。元からそいつは、
そうなるつもりで映画を作ったんだがら。その時、往年の名作のパッチワーク映画を見たお客の頭の中じゃ、奇妙な現象が進行中だった。映画を見ている間中、昔の名作が次々に思い出されてきて仕方がなかった。現物よりも遥かに劣った陳腐な複製によって、逆説的に強力な刷り込みが成功していたんだ。劇場を出た後、捨て作映画の悪口をさんざん言いながら、ああ、昔の名作のころの、輝きのある映画が見たいなぁ、と、口々にみんなは囁きあった。飛んだり、はねたり、踊ったり、キラキラくるくる、楽しかったな、とね。これがどういうことかわかるか? お嬢ちゃん。そいつは俺の大好きな本の映画をあえて捨て作にすることで、そいつの会社の過去の名作へのノスタルジーを引き起こし、そいつの会社の<次の映画>をお客が心待ちにするように仕向けたのさ。たしかにそれで株価は下がる。だが、株が下がるというのは悪いことばかりじゃない。これ以上、値段が下がったら損をするからといって、株をどっと売る奴がいて、今までその株を買えなかった連中がそれを買って、値段はまた少しずつつり上がっていく。そいつの会社の人間は世間の非難を受けて、一丸となって作品を作る。三年後、そいつの会社の出した<次の映画>は大ヒットになった。みんなが飢えていたんだからな。なぁ、お嬢ちゃん。これもまた資本主義だ。結局、持つものは持ちつづけ、持たざるものは、持たざるもののままなんだ。だが、俺は忘れちゃいなかった。
そいつが商売のスケープゴートに、俺の大好きな本を選んだって事を忘れちゃいなかった。だから、俺はもうひとつの資本主義の流儀で、俺の資本主義の流儀で、得意の絶頂でいるそいつに人間なら誰しも訪れるものをくれてやったのさ。
文句は言えないだろう? こっちも商売のひとつなんだから・・・・・・とはいえ、俺が本当に観たかった映画は、残念なことに二度とこの世には現れてくれそうもないんだがな。三十五年前の本なんて、今じゃ古典もいいところだ。いいか、お嬢ちゃん。くれぐれも捨て作を作っちゃいけないぜ。やるとなったら、やりきるんだ。それが俺たちの持つ、唯一の資本主義だ。
そこまで語ると、二コラは冬の夕暮れのような風情を漂わせ、寂しそうに微笑んだ。
そして、十二歳のソラの頭をくしゃくしゃと撫でた。
08_02_2006
この上無く美しく完成された一つの仕事は、細心の注意と最大の敬意を傾け、
その仕事をより良く物語ることが出来る時のみ、大胆に崩すことが許される。
我が師匠の教えです。
back