我輩は杖に頼る輩がもっとも嫌いなのだ、と
大芝居を終え、仮面を外したその人は言った。
聖なる夜よりも、君との夜を
今年も大きなクリスマスツリーが広場に飾られる季節がやってきた。
街を彩る色とりどりの電球の明かりは、魔法界で長い時間を過ごしたハーマイオニーには新鮮に思える。そのことを薄緑のマフラーに鼻先を埋めて隣を歩く夫に話すと、前髪に銀色が混じりはじめた黒髪の男は、そうか? と片眉を上げ、七色に光り輝く巨大なモミの木を見上げた。
「我輩はそうは思わなかったが」
「ホグワーツのツリーに灯った魔法の光も綺麗だったわ」
「毎年、校長の悪趣味が反映された造形ではあったがな」
全てが終わった後、魔法界と人間界に引かれていた一線は、調和の元に揺らいで消えた。限られた土地に引き止められていた魔法の力が噴出し、飛散した。争いの種がゆっくりと消えはじめた。
誰かが放出された力の奔流にエクスペリアームズを仕込んだのだ。
多くの武器や兵器は空に吸い込まれてそれきり戻ってこなくなり、急に何もかもが馬鹿らしくなった兵士は、家に帰って昼寝がしたい、とそれぞれの政府に拳と行進によるクーデターか、昼寝か、の二択を強く迫った。このように世界はけっこう適当な道をズンズンと突き進んでいった。
よくあることだ。
もう一度、世界を二つに分けようと各国の魔法省は尽力したが、一つにつながったものを、再び分かつことはどうしても出来なかった。
何故なら、魔法は元々この世界のものだからだ。
この状況は魔法使いにとっては好ましくなかった。
彼らは恐れた。
また、わたしたちは追いやられるのではないか。
マグルがわたしたちを裁判にかけて、焼くのではないか。
魔法を持たない人々の間にも、隠されていた魔法の存在が知れ渡った時、一万年来の魔法使いのマイノリティの自覚と悲観主義に、淡々と現実の人々は叛旗を翻した。世界の空にドラゴンが飛ぶことに人々は最初こそ驚いたものの、魔法界の人々がドラゴンの扱いを実演し、説明すると、現実としてのドラゴンはカーニバルの出し物として熱狂的に受け入れられた。ロックコンサートではさらに受け入れられた。
火を噴くドラゴン万歳。
よくあることだ。
ある種のドラゴンは海の中で幼少期を過ごし、成体となってから飛行能力を獲得する、と魔法界の人々も知らなかった新事実を発見したのは、魔法にふれたこともないゴジラマニアの研究者集団だった。
東宝系特撮万歳。
よくあることだ。
魔法省の存在は公表され、違法な呪文を使った魔法使いには厳しい罰則が課せられるのも、今までどおりだった。メディアは魔法の恐ろしさについて書きたてはしたが、誰が思っていたよりも、穏やかに魔法の存在は皆の認めるところとなった。
人間やればできるものである。
唯一の例外は宗教指導者とその支持者たちだった。
彼らは魔法の存在自体に総じて反発したが、魚を増やし、水をワインに変えた教祖は奇跡ではなく、魔法を使っていた、いいや、魔法なんぞ使っていない、あれは神の奇跡だ、という永遠の神学論争が勃発し、右の頬の次には左の頬だ、目には目を、歯には歯を、と叫びながら聖堂で血気盛んな聖職者が殴りあう姿に民衆は笑い転げ、神学格闘技という温故知新の娯楽がここに誕生した。
よくあることだ。
だが、一部には反魔法主義を強く掲げ、魔法使いを襲撃すべし、悪魔の手先は皆殺しにせよという主張を公然と出すものもおり、このことにハーマイオニーも不安を感じないわけではなかった。これらの見解は反目を広げこそすれ、融和を勧めるものではない。
「騒ぎが収まるまで、我輩が杖を捨てれば済むことだ」
話し合うなり、セブルスはあっさりと結論を出した。
「でも、それじゃ、あなたが困ることになるわ」
「困りはしない。我輩は殊更に杖を振り回す輩が嫌いなのだ」
と男は杖を書斎の引き出しにしまうと、さっさと銀の鍵をかけてしまい、
「それでは、より魔法使いらしくない人間に見えるように、嫌いなクリスマスツリーでも見に行くとしよう」
と小雪がふわふわと舞う冬の街へ妻を誘い出したのだった。
「本当にもう杖を使わないつもりなの?」
「ああ。杖から生じた魔法は強力だが、欠点も多い」
セブルスはハーマイオニーの肩を優しく引き寄せ、ぴんと張り詰めた冬の夜の空気に、何かを吹っ切るように強く白い息を放った。
「いわば、杖それ自体が、一種の呪いだからな」
「え・・・・・・?」
目を瞠るハーマイオニーに、気付いていなかったのか? と夫は言った。
「杖は使役に心奪われ、命令に心囚われる事と引き換えに力を与える。魂の自由を贄にすると言ってもいい。魔法使いとは言うが、我々の多くは自らに潜む魔を満足に扱えてなどいないのだ」
穏やかに語られる言葉に、ハーマイオニーはこくん、と小さく息を呑む。
「古より伝承された魔の優美さはいまや失われてしまった。やわらかく繊細な力で作られたはずの織物が、いつしか下らぬ鈍器に変わってしまったのだ。呪文は言葉であるから、願いをかなえることもあれば、時に酷い嘘をつくこともある・・・・・・そんなことも忘れている」
男の片頬が上がり、ほのかに誇りがにじんだ微笑みを作る。
「それが幸いとなった時もあったがな」
「セブルス・・・・・・」
「杖がなくては何も出来ないというのは愚かしさの極みだ」
我輩はそうならぬように教えたはずだがね、グレンジャ―、と懐かしい響きがハーマイオニーの耳朶を打つ。光も闇も鮮やかに騙し、世の境界を溶かしてみせた企みの天才は、蜜色の髪に指をからませ、柔らかな下唇を食むように口付けると、クリスマスツリーの明るい光の下で、さも満足そうに人の悪い笑みを浮かべた。
12_25_2005
クリスマスにブログに上げていた時間限定スネハー小説。わたしは夫婦スネハーが好きなのですよ。
ナンセンスを表現しようとして大失敗に終わる。
レッツゴー六巻。
「よくあることだ」は、カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」の「そういうものだ」からパクッたもの。
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